memories of Yu
         こういうコンテンツ、実は轟さんがご卒業されたら作ろうと思っておりました。
         まだ現役のスターさんなので、どうかなという気持ちもありますが、
         私の中の「轟悠」について、そろそろまとめてみてもいい時期かと思うので。
         私が轟さんと出会ってからの熱狂的でオバカさんな日々を、語り尽くしてみました(笑)。
         中には結構過激な発言もありますが、ただただ愛ゆえのものですのでどうぞご容赦ください。
         それに耐えられそうもない方は読まないでくださいね。  
                                               (2004年3月4日記)

           (タイトルをクリックするとその項目に飛べます)


                 1.出会い(1997年)               8.ネットデビュー(2000年)
                 2.トップスターに(1997年)           9.運命の「凱旋門」(2000年)      
                 3.人気ないの?(1997年)          10.博多座公演&専科入り発表(2001年)
                 4.生轟悠初観劇(1998年)           11.サイト・オープン(2001年)
                 5.初お茶会(1998年)              12.専科入り(2002年)
                 6.雪組大ブレイク(1999年)          13.The top of Tops(2003年)
                 7.初大劇場(1999年)             14.The way Yu are(2004年) 





       



  1.出会い(1997年)

1997年の春。同じ合唱団の仲間が宝塚ファンと知った私は
彼女に、自分もかつて宝塚ファン(安奈淳&麻実れい)だったと話をした。
合唱団には宝塚ファンがいなかったので、彼女も宝塚の話ができる相手に飢えていたらしい。
膨大な手持ちのビデオを、次々と貸してくれた。それが、始まりだった。

もちろん、昔のスターしか知らない私。
「どれが観たい?」と聞かれてもよく分からず
彼女のお勧めビデオばかりを観ていたのだが、
ある時、雪組のビデオをまったく観ていないことに気づいた。
かつて麻実れいファンだった私が
「ねえ、今度は雪組のも観たいんだけど…」というと、
「雪組ねえ〜」(彼女は星組の稔幸ファンだった・笑)と、「JFK」を貸してくれたのだった。

とは言いつつ、その前に「ラ・パッション」を、彼女の家で観ていて、
銀橋を渡るトリオの歌手(一路真輝・高嶺ふぶき・轟悠)を観たとき、
「この人綺麗だね〜」と、轟さんの事を言った覚えがある。
友人は「綺麗」という言葉は高嶺ふぶきの為にあると思っていたらしく(笑)、えらく驚かれた。

さて、初めて観る雪組ビデオ「JFK」。
しょっぱなから朗々と歌いだした黒塗りのキング牧師に、私の目は釘付けになった。
「すごい!この人っていったい…」
ビデオを巻き戻して、すぐに名前を確認。
≪轟悠≫とある。
なんて読むんだろう? たぶん≪とどろき ゆう≫だろうなあ。
変わった芸名だな……というのが私の第一印象(笑)。

その後も、その男らしいキング牧師から目が離せず、ずっと彼に注目。
だって、この人ってば本当に男の人みたい。
「私には夢がある〜」なんて歌われて、なんだかうるうるしてくるし、
迷彩服姿なんて、そのまま戦場に連れて行っても役立ちそうだし…(無理)。
と、今までどの組のビデオを観た時よりも、真剣に見入ってしまった。

ショー「バロック千一夜」に至ってはかなりファンモード。
特に、ラスト近くの「ゼブラの男」では、
他の誰よりもドスの利いた唸るような低音と、セクシーな腰つきに
くぁ〜〜〜、かっこいい〜〜!!!と、一気にボルテージが上がり、
その瞬間、私は自分が「轟悠に墜ちた」ことを自覚したのだった。


                                                                         ▲TOP 
  2.トップスターに

その後の行動は素早かった(笑)。
まず、ビデオを貸してくれた友人に電話。

「ねえ、あの雪組でキング牧師やった人って、≪とどろき ゆう≫っていうの?」
「うん、そうだけど?」
「けっこう、いいよね♪」(恥ずかしいのでやや控えめ)
「ええ?そ〜お〜?」(大いに驚いてる様子)
「え…、もしかして人気ないとか?」(スターっぽく見えたけどなあ。私って見る目がないの?)
「そうじゃないけど…。 今度トップになるよ」
「へーー、ねえ、もっとビデオ貸してもらってもいい?」
「うん、いいよ」

というわけで、「あかねさす紫の花」「雪之丞変化」で、ますます轟悠にはまったところに
とどめを刺すような「エリザベート」。
キャー、この人って、す、凄い…!
抜群の歌唱力。しかもルキーニって男にしかみえないし!

となると気になるのが「素顔」
こんなすごい男役の素顔っていったい…??
と興味津々で見せてもらった轟悠の素顔は、超美人!
素顔も美しいのね〜〜、うっとり……。
もうこの頃は、かなり熱烈なファンモード。

「ねえ、私、雪組の公演観たいと思うんだけど、まだチケットってあるかなあ?」
「無理無理。サヨナラ公演だもん」
「サヨナラ?」
「トップの高嶺さんが退団だから」
「そっか、じゃあ次は轟悠がトップなのね。 まあいいか、トップになってから観ても」

だが、お披露目公演が東京には来ないことが判明(泣)。
かなり、ショックを受ける私。
でも、愛は止まらない…。

友人から雪組ビデオ&「歌劇」&「グラフ」を借りまくり、轟悠について猛勉強。
ああ、このぐらいの熱心さで学生時代勉強していれば…(苦笑)。
杜けあき時代からの作品はほぼ制覇し、月組時代の作品にまで手を出す始末(笑)。
もちろん、TCA(あるいはTMP)や「運動会」「スタ小ビデオ」ももれなくチェック。

朝から晩まで轟悠。 寝ても覚めても轟悠…という時期だった。
(その節は友人に本当にお世話になりました。何から何までありがとう。)

生が観られないなら…と、ビデオも購入。
友人が持っていたのは、「エリザ」以外はBS2で放映されたものだったので、TCAビデオを買いまくるが、
一番初めに買ったのが「轟悠ディナーショー/6月のあじさい」だったところあたり
いかに私が轟悠に飢えていたのかがわかるというものだろう(笑)。
だって、ビデオ1本全部が轟悠なんだもん(笑)。

そして、いよいよ轟悠は雪組トップになった。
私は嬉しくて、家で一人で感激にひたっていた。
安奈淳・麻実れい以来、久しぶりにファンになったスターがトップになったのだ。
これから轟悠主演の作品がばんばん観られるのだ。
ああ、私ってなんてラッキーなんだろう♪

友人に録画してもらった「スタ小」を観て大感激。
ああ、轟さんが初日挨拶をしているわーー。
本当にトップさんなんだわ…。
それにしても、宝塚のトップさんって変わった挨拶をするのね。
(それは轟さんだけだったと後で判明…笑)
まあ、この際ゴーストの台詞のしゃべり方がなんか変なことや、
ロン毛のヅラがちょっとばかり合ってないような気がする事は、気にしないことにしよう(笑)。

この頃は本当に幸せいっぱいで、新たな生きがいを見出したかのように
毎日張り切って轟悠に没頭していた。
他に何かやっていたんだろうか?? まったく記憶にない(笑)。



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  3.人気ないの?

そして、轟悠に関してはほぼマニアと化し、
他の組もそれなりに楽しめる宝塚ファンになりつつあった頃
くだんの友人のチケット購入の時の並び仲間に紹介される。

高校時代からの友だちらしい。
なんかみんなディープだぞ! しかも、宝塚ファン歴も結構長い模様。
ご贔屓は、真琴つばさに、真矢みき、紫吹淳、朝海ひかると、何故かみんな見事にバラバラ(爆)。

その中で轟悠は、どうも形勢不利な状況だった。
「とどちゃん? 綺麗だけどね〜」
「雪組? あーー、もう駄目だよね、ユキちゃん辞めちゃうし」
「とどちゃん、人気ないもんねー」
(↑すべて他人様の発言です!<汗。)

おーおー、言ってくれるじゃありませんか!
みんなして、歯に衣着せぬキツイ言葉の数々…。
そうなの? 人気ないの? 轟悠って…(泣)。

いいわ、私が応援するわよ!
あの魅力に気づかないなんて、みんな観る眼がないんだわ。
あんなに上手だし、綺麗だし、カッコイイのに……。
ふふ…、轟悠の素晴らしさは、私だけが知っていればいいのよ(負け惜しみ)。

とまあ、なんだかますますヒートアップして、いよいよ初「生轟悠」を迎えたのだった。

≪1997年の轟悠≫
「仮面のロマネスク/ゴールデン・ディズ」
TCAスペシャル 「ザ・祭典〜四組夢の競宴〜」
「6月のあじさい」(ディナーショー)
「真夜中のゴースト/レ・シェルバン」
「宝塚舞踊会」
「春櫻賦/レッツ・ジャズ」
「アデュー・東京宝塚劇場」


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  4.生轟悠初観劇(1998年4月)

1998年4月、帝国劇場。
東京宝塚劇場は建替えの為に取り壊され、仮設の1000days劇場はまだ建築中ということで
星組「ダルレークの恋」と、雪組「春櫻賦/レッツ・ジャズ」の2公演が、帝劇で上演されたのだった。

桜舞い散る中、初めて観る生の轟悠。
当時は、東京公演前には大劇場公演のビデオが発売になっていたので、
もう、轟さんの出番はすっかり学習済み。

なんて、のんびり待っていたら、な、なんと、オープニングの鳩間節に轟さんがーー!!
キャーー、すごい!あの手の動き!きびきびしていて美しいわーー!!
しかも、銀橋がないぶん舞台が近い!
っていうか、歌いながら客席に下りてきたーーーー!!
キャーー、目の前を歩いていくわーー、きれーーーいーーー!
殆どアホなミーハー・ファンとなって、轟さんを観ていた私。

とにかく、怒涛のような1ヶ月だった。
すぐさまFCに入会し、入り待ちも経験。
結局1か月に8回も観劇してしまった…。


                                                                          ▲TOP
  5.初お茶会

そして、初めてのお茶会。あれもかなり衝撃的な経験だった。
トップになって初めての東京のお茶会ということで、全部のテーブルを回った轟さん。
各テーブルの代表のファンから薔薇を1輪ずつ受け取りながら歩いていく。

その眩いばかりの美しさに呆然…。
なんというか、神々しいまでの不思議なオーラに包まれていて、
絶対に近づけないような、触れてはいけないような感じ。

ああ、それなのに「写真撮影」ですってえ?
キャーー、そんなの聞いてないってば!
わーーん、どーしよう、恥ずかしい〜〜。

その日、私は小3になったばかりの息子&私が無理やり轟ファンに洗脳した妹を連れて
お茶会に出席していた。
息子は「いしちゃん」が大好きだった。
特に「アナジ」が大好きで、ビデオを観るたびに泣いているという、面白い子供だった。
そういうわけで、緊張した私たち親子は、
写真撮影のために轟さんのいるステージの方に移動した。

轟さんは、ちんまりと椅子に座っており、
そのまわりをファンがとり囲んでパチリというわけだ。
が、背の低い息子のために、他の方々が彼を前にしてくれようとしているのに
緊張した息子は、固まったように動けなくなってしまった。
もう、恥ずかしいから早く動きなさーいと心の中で叫ぶ母・暁生。

そのとき天の声が…。
「いらっしゃい」という優しい声と共に、轟さんが息子の腰に手を回して引き寄せてくれたのだ。
ああ、なんていい人なの〜〜。

息子は轟さんに抱き寄せられたまま写真に収まり、その写真は我が家の家宝となった(爆)。
「いしちゃん、いいにおいがした…」
と、鼻血を出さんばかりの表情でボーーッとしている息子。
私が彼女の優しいお姉さんぶりに触れて、ますますファンになったことは言うまでもない。

結局この年は、「春櫻賦」「浅茅が宿」と、本公演の雪組は日本物で終わった。
その他に、全国ツアー「風と共に去りぬ」、バウワークショップ「ザ・フィクション」。

「風共」は勢いに乗って(笑)3回観に行った。
初演を知っているだけに、懐かしさでいっぱい。
フィナーレの「タキシード・ジャンクション」で、殺された。

「ザ・フィクション」は、バウのみの公演だったので涙を飲む。
当時は、宝塚まで行くなんて思いも寄らなかった私だった。

「春櫻賦」は、初めての生轟悠ということもあり、かなり燃え盛っていたが
「浅茅が宿」はいまいちトーンダウン。
というか、私生活のほうが色々大変な時期だったので、のめりこめなかったのかも。
でも併演の「ラヴィール」はかなり好きだった。
そう言いながらも、5回の観劇。
しかも、初めての千秋楽観劇をしてしまった。ラッキー!

この年、初めて轟悠を描く。
鉛筆でのデッサンで、本当に遊び程度だった。
そんなこんなで、けっこう幸せな1年だった。

≪1998年の轟悠≫
「春櫻賦/レッツ・ジャズ」
「風と共に去りぬ」(全国ツアー)
 TCAスペシャル 「タカラジェンヌ!」
「浅茅が宿/ラヴィール」
「ザ・フィクション」(バウ・一人芝居)



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  6.雪組大ブレイク(1999年)

私の中での轟悠は、どんどん大きな存在になっていくというのに、
轟悠の話が出来る人がいないのを寂しく思う日々。
妹は、轟さんを好きではあるけれど、反応がクールだし
宝塚ファンの友人は、まったく趣味の方向が違うので、ファンモードでは語れないしな〜。

そんな私が思いついたこと。
そうだ、身近に轟ファンを作ればいいんだわ!
というわけで、布教開始(爆)。
ビデオを貸し、観劇に誘い……。
結果は……全滅。

あーーん、みんなどうして轟悠の魅力をわかってくれないの?
バカバカバカ〜〜(泣)。

が、そんな中、轟ファンは急速に世の中に増殖していたのだった。
それは、再演イヤーの中で上演された「再会/ノバ・ボサ・ノバ」。
「ノバ」と言えば、亡き鴨川清作の代表作の一つで、名作の呼び声高い作品。
今回で4回目の公演だった。

かくいう私も、かつて安奈淳のソールで大感激した思い出が…。
あの、私が大好きだったオトミさんがやった「ノバ」を、轟さんが?
おお、なんという幸せな偶然!

この「ノバ」を目当てに、かつての宝塚ファンが大挙して劇場に押し寄せたのだ。
しかもお芝居は小粋なコメディ「再会」。
私が初めて生で観る轟悠のスーツ物。
そのプレイボーイぶり、あまりのカッコ良さに、撃沈…。
そして、「ノバ」でシナーマンの熱唱に鳥肌。
真夏の有楽町で、地獄の入り待ち。でも、幸せだった。

だが、殺されていたのは私だけではなかった。
チケット天国と言われていた雪組公演に、――――お客さんが入っているよ〜〜〜!(感涙)。
何と雪組大ブレイク&轟悠ファン激増という、嬉しい事態に。

まさか、こんな日が来ようとは…。
轟ファンしてて良かった…(泣)。



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  7.初大劇場

この年もう一つの公演「バッカスと呼ばれた男/華麗なる千拍子’99」は
久々のコスチュームプレイと、またも名作ショーの再演!
何か、いよいよ私も運が向いてきたわ!
(運が向いてきたのは轟さん&雪組さんだろう?)

そして、この公演で、私は初めての宝塚大劇場行きを果たす事になる。
何となく申し込んだVISA貸切公演のチケットが、当たってしまったのだ。
行く予定もないのに、なぜ申し込んだのか不明だが(苦笑)、
とりあえず、夫の許可を貰い、妹を誘うとすぐに乗ってきた。

旧東宝劇場で宝塚歌劇を観劇してから25年目にして、初めての宝塚大劇場行き。
というか、まさか自分がここまで来るなんて思いも寄らなかった。
すべて、轟悠への愛のなせる業である。

「バッカス」では、その美しい姿に惚れ惚れ。
ああ、ロン毛の轟さんがこんなに美しいなんて…。
ここまで来て良かった〜〜。
「華麗なる千拍子’99」では、マタドール&二ューヨークのシーンにメロメロ。

初めて来た「宝塚」という街は、のんびりした雰囲気で、
「歌劇の街」という名前にふさわしく、どこを歩いていても公演ポスターやサイン、
宝塚関連グッズがあって、「ああ、この街に引っ越したい」と切に願う。

幸せだった一方で、気になることも。
それは「退団」の噂。
3作目を過ぎたあたりから、毎公演ごとに「次で退団らしい」という噂が流れるようになる。
その度に、もう心臓が止まるような思い。
そして「今観ておかなければ、次はサヨナラ公演かも…」という気持ちから
観劇回数も増え続ける。
唯一の東京公演「再会/ノバ」は9回だった。

この年は、ディナーショー「愛の日々」もあったが、私は電話であえなく撃沈。
今から思えば、FCに頼めばよかったんだよね、おばかさん…(泣)。
まだまだ、FC初心者の私だった。
そんなわけで、DSはビデオで鑑賞。
ますます轟悠に深く深く嵌っていった。
どこまでいくのか、この轟アリ地獄(いや天国?笑)。



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  8.ネットデビュー

この年、もう一つの大きな出来事。それはネットデビュー。
以前から、自分の趣味に関するページや、宝塚の公式ページは見ていたものの、
宝塚スターのファンサイトがあるなんて全然知らなかった私だった。
くだんの友人に「とどちゃんのファンサイトがあるらしいよ」と二つほど教えてもらい
さっそくチェック。

おお、本当だーーーー!
すごい、轟さんのファンってこんなにいるんだわーー!
それ以来、毎日訪問することが日課になる。

が、毎日掲示板を見ているうちに、だんだん自分も参加したくなってきた。
書きたい、でも…と悩むこと数ヶ月。
ついに、ネットデビューを果たす。
99年の11月(たぶん)と、翌年のお正月に、それぞれの掲示板に初投稿。
歓迎のレスも頂いて、わーーい、これでやっと轟さんのお話ができる〜と感激。

今から思うと初心者もいいところで、ネチケットも知らず、
それぞれの管理人様には、ずいぶんご迷惑をかけてしまったような気がする。
その節は本当にお世話になりました…(汗)。
(と、ここで謝っても…自分。)

そして、この頃からボツボツと轟悠のイラストを描くようになった。
出来上がると友人に見せるのだが、轟ファンでないために反応は今ひとつ…どころか
「ミズしぇん描いて〜」と言われる始末。
確か君は稔幸ファンだったのでは…?

まあそんなこんなで、怒涛のように過ぎ去った1999年であった。

≪1999年の轟悠≫
「浅茅が宿/ラヴィール」(中日劇場)
「再会/ノバ・ボサ・ノバ」
TCAスペシャル「ハロー!ワンダフルタイム」
「愛の日々」(ディナーショー)
「バッカスと呼ばれた男/華麗なる千拍子’99」
「レビュー・スペシャル’99」



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  9.運命の「凱旋門」(2000年)

2000年の轟ファン生活は、まず「バッカス」東京公演から始まった。
ここでついに二桁観劇かと思いきや、微妙に9回で終わる。

だが、ここで今までと違うことが…。
ネットを通じて、轟さんファンのお知り合いができたのだ。
観劇前にお食事をしながら、轟悠への愛を熱く語りあうのが、こんなに楽しいとは…。

もう誰にも遠慮はいらないのね?
あなたのこと「好き」と言っていいのね?
うれしい…(爆)。

いえ、だってその頃の宝塚ファンの中では、轟ファンってけっこう少数派で
そこはかとなく「轟悠さんのファンです」と、言い辛い雰囲気があったのだ。

そして、ネットでの知り合いも増え、管理人さんとも顔なじみになった頃、
たまたま「絵を描くのが好きなんです♪」と言ったところ、
見せて欲しいと言われてお見せする事になった。
そして、そのイラストをとても気に入って頂き、なんとそのままサイトに飾って頂くことになった。
ついにイラストでもネットデビュー!

自分のイラストが、轟さんのファンサイトに載っているなんて、
なんだか信じられないような不思議な気持ちだった。
でも、同じ轟悠ファンの方々の感想をたくさん頂けて、すごく嬉しかった。
それ以降、轟さんのイラストを描いては、UPして頂くようになる。

そして、この年の一番のトピックスはあの「凱旋門」が公演されたことだろう。
巷では、この作品がサヨナラ公演になるのではと噂され
ドキドキしながら迎えた製作発表は何事もなく終わり、
その後はチラシGETや、チケットGETに奔走。

今までファンしてきて、大劇場公演前からあんなに盛り上がった公演はなかった。
だって「ナチに追われドイツから亡命してきた外科医」なんて、私のツボつきまくり!
スチールとTVCMを見た時点で、熱狂(発狂?、笑)。

ついに、FCのツアーに参加して大劇場へ。
前回と違って、今度はどこに行ってもファン仲間がいっぱい。
インターネットの力の大きさをまざまざと感じた。

ファンサイトで知り合って以来、ずっとメール交換してきた方とも
ようやく会うことができ、大感激。

もちろん、「凱旋門」という作品も、轟ラヴィックも素晴らしく、
「これが見たくて、今まで轟ファンしてきたのかも」と、心から思わずにはいられなかった。
私の中で、轟悠への愛が最高潮に達した瞬間でもあった。

続く東京公演では、何と16回観劇という宝塚ファン人生最高の記録を達成。
いえ、もっと上手のファンもいたけれど、仕事しながらのこの回数は相当きつかった。
出待ちはしなかったけれど、入り待ちはしたし、初日&千秋楽ももれなく観劇し
この公演期間中は、どっぷりとラヴィックに嵌っていた。

あまりに入れ込みすぎて、最後の頃は痩せてしまったほど(苦笑。)
観劇前にドリンク剤を飲むのが習慣のようになってしまった。
本当に、身も心もラヴィックに捧げ尽くした日々…。
千秋楽では大泣きしてしまい、こっ恥ずかしくも懐かしい思い出だ。

そんな訳で、楽のあとは廃人のようになってしまい、
ぼんやりと過ごす日々。
あーー、もうラヴィックに会えないのね…と涙に暮れていたら…。

何と轟さんが、その年の芸術祭演劇部門で優秀賞受賞の知らせ!
すごいわ、やったじゃん! ブラボーー!! 
と一気に盛り上がる。
しかし、同時にまたも「退団」の噂。

寂しいのと嬉しいのと、色々な思いが錯綜する中で、ミレニアムの年は暮れていった。

≪2000年の轟悠≫
「バッカスと呼ばれた男/華麗なる千拍子」(東京公演&全国ツアー)
「寺田瀧雄 作曲生活40周年記念コンサート」
「デパートメントストア/凱旋門」
「アデュー・TAKARAZUKA1000days劇場」



                                                                          ▲TOP
  10.博多座「凱旋門」、そして専科入り発表 (2001年)

まさかこんな日が来るとは…。
それは、轟さんが「新東京宝塚劇場」の舞台に立った日のこと。
トップになったときから短期トップと言われ、
毎公演のように「次で退団」と噂された轟悠が、新しい劇場の舞台に立っている。

「猛き黄金の国/パッサージュ」はトップ7作目の作品だった。
同期でトップになった真琴つばさが6作で退団したのに、轟さんはまだトップにいる。
やっぱり彼女も、もうすぐ退団するんだろうなあ…。
でも、不思議と退団してほしくないという気持ちにはならなかった。

もう十分堪能させてもらったから、そろそろいいかな…。
うんと華やかな作品で退団してくれれば、私も本望だし、
サヨナラで盛り上がって、そうしたらまた普通の宝塚ファンにもどろう。
そんな気分になっていた。

「猛き黄金の国」という作品が、私にとっていまいちだったことも原因だったかもしれない。
ラヴィックを愛しすぎた私は、最後まで弥太郎さんに入り込めなかった。
(なのに東京公演12回って…?苦笑)

そんな中、8月の博多座公演が「凱旋門/パッサージュ」に決定!
なんて美味しい組み合わせなんだろう!!
轟悠最高のお芝居と最高のショーではないか……。
悩みに悩んだ末、
「もうホテルもチケットも取ってあるよ。暁生さんが行かないなら娘と行くし」という
友人の言葉に背中を押され、ついに博多行きを決意。

博多では、今までで最高の轟悠に酔いしれる事ができた。
ラヴィックはより深みを増していたし、「パッサージュ」は博多座バージョンで
私はこちらの方が好きなくらいだった。
関西在住の友だちとも向こうで会えて、最高に楽しい観劇旅行だった。

そして、博多座公演が無事千秋楽を迎えた数日後。
轟悠専科入りの記者会見が行われた。

このときの複雑な気持ちは、何とも表現し難い。
まだまだ轟悠の舞台を観る事ができるのは、確かに嬉しい。
でも、今までのように主役とはいかないだろう。
そして、これから先、10年、20年、30年…と年を経ていく轟悠を、
自分は観続けていくことができるのか?

今まで、「サヨナラ」に向かって、頑張ってFC活動して来た事はどうなるのか?
サヨナラショー、パレード、写真集、ビデオ…そんなものは、もう望めないのか?
いったいいつ、自分のこの気持ちに決着がつけられるのかわからないまま、
これから先も、ずっと同じテンションで応援し続けていけるのだろうか?

轟さんのせいではないけれど、なんだかとても寂しい気持ちになって
しばらく落ち込んでしまった。

そんな気分で迎えた「愛燃える/ローズ・ガーデン」ではあったが、
轟さんのトップ引退&月影瞳さんの退団にふさわしく、宝塚らしい華やかな悲劇で
それなりに、どっぷり浸かってしまった。
結局ミーハーなんだな、自分(っていうか、結局大劇場に行ってるし)。

大劇場公演の後、12月には、ディナーショー「ノーチェ・ド・ユウ」。
轟ファンになって苦節5年、ついにDSデビュー!
これは最高にカッコ良かった。
毎年こんなディナーショーしてくれるのなら、専科入りも許す!(おいおい)

結局は、熱い思いを抱いたまま暮れて行く、2001年だった。



                                                                          ▲TOP
  11.サイトオープン

この年のもう一つのトピックスは、このサイトをオープンしたことだろう。
年明けすぐに新しいPCが我が家にやってきて、夫が「ホームページビルダー」という
HP作成ソフトをインストールしてくれた。

はじめは全然興味がなかったのだが、その頃イラストの数が増えてきて
人様のページを使って自分のイラストを飾るのは、
なんだか心苦しいというような気分になっていたこともあり、
(やっと画像の重さなどについて、分かってきた頃だった)
夫のアドヴァイスを受けつつ、ちょっとページを作ってみようという気分に。

作り始めると面白くて、どんどん嵌っていった。
轟ファン仲間でもある関西在住の友人が、サイトを開設した事も刺激になった。
サイトオープンは、8月11日の轟さんのお誕生日。
ちょうど「博多座」公演中だった。

オープンと同時に、想像以上に多くのお客様に来ていただき、
本当に幸運なスタートを切れたと思う。

轟悠のファンであること以外に、また興味を持てる分野ができ
サイト運営者として、多少なりとも広い視野を求められるようになったことは
宝塚ファンとしての自分には良かったかもしれない。
轟悠以外のスターさんを描きたい気持ちも、どんどん増してきた年だった。


≪2001年の轟悠≫
「猛き黄金の国/パッサージュ」
「凱旋門/パッサージュ」(博多座)
「愛燃える/Rose Garden」
「Noche de Yu」(ディナーショー)



                                                                          ▲TOP
  12.専科入り(2002年)

ついに「愛燃える/ローズガーデン」も東京公演千秋楽を迎え、
雪組トップとしての轟悠の仕事は終わった。
初日から千秋楽までを見届けて、私もなにやら憑き物が落ちたかのような
不思議な充足感で満たされていた。
もういいかな、いっぱい観たし………そんな気持ちだった。

だが、そんな私の気持ちにはお構いなく、轟悠の舞台は次々に用意されていた。

日生劇場「風と共に去りぬ」
青山劇場「轟悠コンサート Stylish!」
ディナーショー「The way Yu are」などなど。

専科入りが発表された時には想像も出来なかったような、専科スターとしては破格の待遇。
「この人は、まだまだトップなんだ」を実感させる素晴らしい舞台。
でも、いつの間にか、まわりの熱に付いていけなくなっている自分がいた。

あんなに愛していた轟悠なのに…。
いや、もちろん今だって大好きだ。
だが、私の大好きだった轟悠は、もうここにはいない。
あの壊れそうなほど鋭くて、痛々しいほど潔癖で
誰をも寄せ付けないような厳しさで、見事なまでに孤高の美を誇っていた轟悠。

それは、私だけが持つイメージだったかもしれないけれど、
いつもどこかしら切羽詰ったような感じだった轟悠が、
いつの間にか、余裕たっぷりの大スターになっていたのだ。

それはそれで、当たり前の変化なのだろうし、喜ばしい事なんだろうと思う。
でも、やっぱり自分の中の「轟悠」は、雪組トップ引退と共に終わってしまったのかな?
と、そんな感想をもってしまうのだった。

専科行きを手放しで喜んでいるファンも大勢いるというのに、
どうして私は素直になれないんだろうと、落ち込んだ。


≪2002年の轟悠≫
「風と共に去りぬ」(日生劇場)
TCAスペシャル「DREAM」
「轟悠コンサート Stylish!」(青山劇場)
「The way Yu are」(ディナーショー)


                                                                          ▲TOP
  13.The top of Tops(2003年)

そして2003年、専科トップとしての轟悠は、今度は花組公演に主演する事になった。
これには私もかなり驚いた。
現役のトップスターがいる組に特出して、しかも主演とは…。
花組ファンは、春野寿美礼ファンは、果たして納得してくれるのだろうか?

そして、私は轟悠をどんな気持ちで観るのだろう?
自分でもまったく分からなかった…。

実際に舞台を観ると、意外なほど平静な自分がいた。
さすがにショーでは、雪組トップ時代を重ねて胸に迫るものもあったが
全体的には、想像していたよりずっと轟さんの舞台を楽しむことができた。
嬉しいような、ちょっと寂しいような…、複雑な気分。

結果として、花組公演は大成功を収め、轟悠はまたひとつ大きくなったようだった。

そしてこの年、轟悠は「日本映画批評家大賞」のミュージカル大賞と
「菊田一夫演劇賞」の優秀賞を受賞。
そして、歌劇団理事への就任。
名実共に宝塚の顔となり、春日野八千代の後継者としての道を、確実に踏みだしたようだった。


≪2003年の轟悠≫
「小林一三翁生誕130年記念 清く正しく美しく」(献舞)
「野風の笛/レヴュー誕生」(花組)
「宝塚舞踊会」



                                                                         ▲TOP 
  14.The way Yu are(2004年)

2004年、宝塚歌劇団は創立90周年を迎えた。
そして、轟悠はその中心にいる。

お正月の花組公演では、「飛翔無限」で祝舞を舞い、その後はディナーショーを行った。
私はそのどちらも観ていないが、とても素晴らしかったそうだ。
9月には、日生劇場での主演「花供養」が、12月には古巣雪組でも主演が待っている。
ああ、轟さんって、本当にすごいスターさんになったんだなあ…と感慨もひとしおだ。

これからもきっと、彼女が舞台に立ち続ける限り、私は遠くからそっと応援していくのだろう。
その道がどこまで続くかわからないけれど、
あの熱かった日々とはまた違う気持ちで、見つめていくんだろうと思う。

本当にミーハーで、自分勝手なファンだとは自覚しているが、
轟悠に出会って、私は宝塚ファンとして様々な経験をさせてもらったと思う。
あんなに一生懸命誰かを応援したことってなかったと思うし、ファン生活を満喫した。
ひとつ出来なかったことは「サヨナラフィーバー」だけど、
それは、いつか別の人で経験できれば……。

今は、以前とは別の感覚で楽しく宝塚ファンをしているし、
新公学年の若い人を応援していく喜びも味わっている。
好きになったときには、もう2番手だった轟さんの時にはできなかったことだ。

2004年、轟さんは、今、私が応援している音月桂ちゃんと同じ舞台に立つ。
なんだか、とても楽しみではある。
轟さんにも、桂ちゃんにも、そして雪組っ子たちにも頑張ってもらいたい。

最後に……。
轟悠さん、熱く楽しい日々を本当にありがとうございました。
あなたを好きになって良かったと、心から思っています。
これからも、自分らしさを大切に、素晴らしい舞台でファンを魅了してください。

いつまでも、遠くからこっそり(笑)、応援しています…。

                            愛をこめて…。暁生より (2004年3月4日記)

  追記: これを書いた頃のわたしは、
      轟さんの立場がどんどん変わっていくのに付いていけなくて
      ファンとして、とてもしんどかった時期です。
      そして、この10年あまり、専科トップとしてのキャリアを重ねた轟さんを観ていて
      ようやく素直な気持ちで「轟さんが好き♪」と応援できるようになりました。
      しかも、10年経っても相変わらず轟さんは美しいです。
      私はずいぶん年取ったのに(苦笑)。  (2013年1月31日記)


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